2002年 1月 14日、三灘駅

 せっかくだったから、'02年1月13と14日の両日間にかけてスタンプを集める旅行に出ることにしました。

全州駅舎
瓦の屋根が印象的な全州駅の駅舎です。
全州市内中心を通過していた全羅線が移設されるときに立てられた建物です。


13日, 水原から全州まで直通に行って知り合いのずまさんの家で泊った後、翌日である14日に 全州論山鳥致院三灘堤川清凉里を巡って帰るコースの予定だったんです。

〜14日の元の予定〜
列番出発地出発時間到着地到着時間
#462全州07:50論山08:43
#430論山09:04鳥致院10:09
#363鳥致院10:29三灘11:58
#1143三灘16:52堤川17:15
#528堤川18:24清凉里21:12

しかし、この計画は14日の朝から外れ行く始めたんです。 寝坊(?)をしてしまい、14日の朝に起きると時間はすでに07:35でした。この時間ではいくら急いでも元の予定である、 07:50に全州駅で出発する#462列車に乗ることは不可能です(宿所で駅までバイクで10分距離)。 結局, 全州駅に到着したのは列車が去った5分後である07:55で、仕方なく次の列車である#464列車に乗るしかなかったんです。 ですが、ここで生ずる深刻な問題はこの#464列車で行くと、論山を無視して鳥致院まで直行に行っても11時6分になる。 そこで#363に乗れなくなり、三灘に行くには莫大な差し支えが生ずるようになりました。


ちなみに三灘駅に停車する下行き(鳳陽・堤川 方面)の列車は1日に以下の6本だけ。



ご覧の通り、#363に乗れないと5時間をまって#1143に乗るしかありません(#1145で行くと帰られなくなるので論外、と…貨物列車の#2235に乗られると話しは別になるが)。

仕方なく一旦#464で論山まで行って再び#436を利用して鳥致院に到着した時は11:22, #363が堤川を向けて出発したから50分以上が経った時間でした。

鳥致院駅舎

鳥致院で知り合いと会って行く事にしてたから、予定を変更して乗る事になった#367が出発する13:51まで時間をつぶすしかありませんでした。 13時51分、#367でその人と合流して忠州まで行ったんですが(15:07到着)、忠州の市外ターミナルには三灘行きのバスは全くなかったんです。 三灘駅に電話を何回もして問い合わせしながら決まったことは、市外バスに乗って三灘駅が所在している「山尺面」の面事務所が位置している「ドボン」まで行って、 そこでバスを乗り換える行く事にしました。ですが、ドボンで三灘行きのバスは17時30分位に来るそうだったんですので、また鬱陶しい待機 ( -_-)旦~ フゥ..が始まったんです。やがて17:30頃, 田舍臭い塗布のバスが威容を威張って(?)停留場に停車し、 わたしたちが乗りこむとすぐ暗くなっていた田舎の狭い道路を猛疾走(?)しはじめました。いくら行ったでしょうか。 運転手さんが三灘駅辺りだと案内をしてくれて降ったところ、時間はもう18時になり真っ暗な田舎の道路の3通りの横に商店が一軒いるだけで、 三灘駅は里程標はあるものの、駅自体は全然見えないのではないでしょうか。 一応、里程標に従い道に付いて行ったんですが、街路灯一つもまともにない田舍で、かなりひっそりしている場所を尋ねるつけることは決して易しいとは言えません。 2個の分岐点を通りながら約10分ぐらい迷ったところ、遠くに駅舎の物に推定される蛍光燈の明りが見え、ただその明りを道しるべして歩いて行き始めました。 また暗黒(?)の中を迷うのを10分ほど、横で鉄路が見えました。 無茶にも(?)私たちは三灘駅の構内に入って来てたんです。 約200メートルぐらい前に見える駅舎に向けて歩いて3分ぐらい、 やがてわたしたちは駅舎の昇降口の方のドアを開けて駅舎に入りました。三灘駅に到着した時間は18:30頃. スタンプも無事に取り、同行人は先に#1144を乗って帰ったんです(大田住在の方でした)。 そして私も#1145(三灘 1946 → 堤川 2009)を経って#530(堤川 2016 → 清凉里 2250)を利用してとにかく無事に帰りました。

鉄道旅をする時は時間をちゃんと守りましょう!-_- 列車は私を待ってくれません。

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