…梨水駅物語…

とにかく結論から見る

朝鮮時代、今の舎堂2洞〜銅雀洞一帯には梨の木の畑が広がれていて、
「盤浦川」(註@)の支流である「梨水川」という小さな浅瀬も流れていた。
時代が経ってその地域は始興郡からソウルに編入され、都市化の急速な進展の中で
「梨水川」は乾いてしまい、そして梨の木の畑もそうようにその姿を消えていった…

1980年(昭和55年)3月20日、銅雀大路を開鑿して始まれた地下鉄工事は1985年(昭和60年)10月になって
やっと結末をつけられ、総神大入口交差路(註A)の北に地下鉄駅ができるようになった。
建設駅名「梨水」はそのように駅名の是非の未来を知らないまま、開通された。



まだ開通前である1985年、総神大学校(註B)は「梨水」駅の「総神大入口」駅への変更を要請し、
変更に掛かる工事費用の2400万ウォン(85年当時)を負担する条件で駅名を変えさせた。
1985年10月16日は地下鉄3, 4号線同時全体開通日であり、「梨水」駅の1回目の名前変更は1985年9月23日だった。



この時期には、いろいろな大学が自分の名前を駅の名前に付けてくれと言う場合が多かった時期である。
政治的には軍事政権下で、政府側としても反政府活動の温床だった大学へのなだめ(?)として
むりやりでも駅に大学の名前をつけてくれることが多かった。

<表> 3・4号線駅名変更現況
資料提供:SMSC営業制度課

号線 元の駅名変更駅名変更日備考
3号線 弘恩弘済1985/02/05開通前
弘済毋岳ゼ1985/02/05開通前
奬忠東大入口1985/03/07開通前
中央庁景福宮1987/05/01開通後
ヘ大ヘ大
(法院・檢察廳)
1990/04/01開通後
貨物ターミナル南部ターミナル
(藝術の殿堂)
1990/04/01開通後
良才良才
(瑞草區廳)
1991/12/01開通後
景福宮景福宮
(政府中央廳舍)
2000/03/01開通後
4号線 葛月淑大入口1985/03/07開通前
敦岩誠信女大入口1985/04/01開通前
誠信女大入口誠信女大入口
(敦岩)
1985/04/15開通前
三仙橋三仙橋
(漢城大入口)
1985/04/15開通前
ソウル運動場東大門運動場1985/07/27開通前
淑大入口淑大入口(葛月)1985/09/23開通前
漢城大入口漢城大入口
(三仙橋)
1985/09/23開通前
梨水總神大入口
(梨水)
1985/09/23開通前
会賢会賢
(南大門市場)
1991/12/01開通後
總神大入口
(梨水)
梨水2000/08/01開通後
梨水總神大入口
(梨水)
2001/02/01開通後

表を見ると判るが、大学の駅名関連ではほとんどが開通頃になって変更されたことが分かるはずだ。

これは何年間の工事にはなんの興味も関心もなかったくせに、工事が終わる頃になってやっと(?)関心を見せて
地下鉄公社に依頼して変更した場合が大多数ということ。

それに、他の大学が4月ごろに駅に名づけられているのと比べて、総神大はなんと開通直前の9月。
いくら役所というところが物事の進行が遅いとは言え、このぐらいの時間差なら大学側がよっぽどの無関心から
いきなり関心至大に転向したと思っても差し支えはないと思われる。



とりあえず、「梨水」の駅名は1985年、総神大の費用負担で駅名が変更された以後、別の問題なく使われてきた(註C)
そして時間は流れ…ソウル市の2期地下鉄計画が立てられてそこで問題(?)が発生してきた。

1993年(平成5年)、7号線が「梨水」駅を通過しながらその次に総神大学校から450m距離に
新駅が新設されることによって混同の恐れがあるということが申し立てられた。



1997年(平成9年)、ソウル市地名委員会は「総神大入口(梨水)」駅を「梨水」に還元するように、
そして代わりに新しく設置される7号線「南城」駅を「南城(総神大入口)」に変更するように議決した。

しかし、自揃の金を入れて変更した大きい駅の名前が
一瞬に新しくできた(当然のことで認知度が低いし、駅勢圏も小さいし、利用客も少ない)駅の
「並記(副駅名)」になってしまうのが大不満になるしかない総神大側では2000年の7号線開通時までだけでも
4号線側の駅名の維持を要請し施行機関である地下鉄公社は2000年7月31日まで「総神大入口」を維持してから
2000年(平成12年)8月1日、7号線の建大入口〜新豊区間の開通(註D)と合わせて名前の「梨水」への還元作業を終わらせた。



し・か・し…総神大はソウル地方法院にソウル市とソウル地下鉄公社を被告にする民事訴訟を提起した。
理由は「15年間持続的に使われてきた駅名を一瞬に変えた」とかいいながら。
結果は? 言うまでも無く願・告・敗・訴・判・決(註E)だった。

ここで「梨水問題」は一つ区切りされるようだったが、案外ところに伏兵が隠れていた。
1993年以後、黙々と地を掘っていただけのソウル地下鉄建設本部(ソウル市の構造図を見れば、
建設本部はソウル地下鉄公社やソウル都市鉄道公社など地下鉄運営機関より上位機関)
が地名委員会に「梨水」駅に対して駅名の「総神大入口(梨水)」へも還元(?)を申し立てた。
(改名要請の権利がある地下鉄公社もじっとしていることを)

もっと荒唐な行動を起こしたのは地名委員会。なんとその要求を議決処理してたのだ!
もっと紛らわしいことは4号線は「総神大入口(梨水)」、7号線は「梨水」、そして統合名は「総神大入口(梨水)」、
として議決し(註F)、乗換駅のそれぞれ路線別駅名が違うことになった。(註G,註H)



現在、総神大から一番近くにある駅は「南城」駅である。
また、4号線の「梨水」駅よりは7号線「梨水」駅が総神大へもっと近くに接している駅であり(註I)
今は決して4号線は総神大学校の近くとは到底言えない(註J)

この件について総神大側はこう主張した。
「15年間を使われ続いて来た駅名を一瞬に変える自体が無謀だ。」
「それでわれらはわれらの権利を主張したのだ。」
「どうしてほかの大学らは変えないのにわれらだけ持ってそうするのか。」

先述したが、大学の学校広報のための地名抹殺は1980年代の暗鬱な軍事政権の時代、
象牙塔と呼ばれた教育機関たちの「お金さえ振り撤けばなんでも出来上がる」という一念と、
学生運動をなんとか静めると考えた軍事政権の利害関係が合わされて成り立ったいわば「痛い思い出」である。

1997年、地名委員会は「これからすべての大学の駅名を徐々に固有の地名に変えて行く」と公言した。
だが、8年が去ったいままでも地域名に還元された駅はこんな事件のおかげでもあるか、一箇所もない。
公言はあくまでも理想論であり、全部実行すること自体が無理であり、そうする必要もない。
しかし、この「梨水」のように明らかに不適切かおかしいいくつかの駅名ぐらいは訂正されるべきではないか。

ここでいくつの疑問を題示してみる。答えは列覧者諸位の判断に預ける。

T.総神大学校は果して学生と教授・講師・ほかの職員が全員、4号線「総神大入口(梨水)」だけを使って通学(勤)するか?
*.ちなみに、学生は主に落星岱駅からの町バスで来るか、南城駅から歩いてくるかが一般的らしい。

U.ソウル地下鉄建設本部はどうして自分の仕事でもないことに手を出したか?
*.建設中の区間なら建設本部に権限があるが、いくら上位機構とはいえ、既開通区間にあれこれ言える権限はない。

V.ソウル地名委員会はどれがもっと歴史があって古い地名を分からないアホ集団か?

W.ソウル地下鉄公社は自分らのすべきことはすべてしたと手を放したが、もうちょっと努力できなかったか?

X.市民たちはこのような事実に対してどのぐらい知っていて、どんな考えをしているか?

Y.なぜ「総神大前(南城)」とかの妥協案はどっちらからも考えられてなかったのか?

私はそこで結論した。
韓国は日本海の表記を「東海(ドンヘ)」にすべく、あっちこっちで働きかけている。
しかし、韓国側主張の根拠のほとんどは日本からの反論に撃沈されかねないものばかりだ。
(日本海名称問題の詳細についてはここでは割愛する)
それでも感心しちゃうほど、熱心にドンヘドンヘとやっている。
しかし、この事件と並べて見て私は事態の本質(と言えるかな…?)を看破した。
小さい駅の名前さえ一個の圧力団体の主張を簡単に認めて
正しくとは言えない名前に固着させる国のくせに、
その駅の数百倍大きい海の名前をその圧力団体の数百倍大きく強い外国を
相手にして「正しく」しようとしても説得力が無い。

「修身斉家治国平天下」という格言がある。身を修む事ができたら家を斉し、続きには国を治む、な感じの格言だが、
この件に代入してみると「斉家」もまともにできてないやつが「治国」しようとしているようなことだ。
ここで日本側が正しいかどうかはどうでもいい。こちらが正しくないとまず説得力が出ない。
東海なんてはっきり言って(゚听)イラネ。どうでもいい名前で争う時間があればまず国内の正しくない地名から正しくしてからしろ。


-註-

@.現在、高速バスターミナルの西、沙平路のすぐ北に現存。一部は復蓋された。
A.今は皮肉にも「梨水駅交差路」が公式な名前になっている。
B.1992年までは「総会神学大学」。1992年に学校名を現在の「総神大学校」に変更した。
C.とにかく総神大から一番近い、ということでこれっと言える問題なく定着されたが…
D.7号線は3回に分割されて開通された。
1回目 1996.10.11 江北区間(長岩〜建大入口)
2回目 2000.02.29 温水区間(新豊〜温水)
3回目 2000.08.01 江南区間(建大入口〜新豊)
E.願告敗訴判決の理由は「自分の名前を他人が使って名誉毀損などの恐れが
ある場合には改めなさいと要求する権利が発生するが、駅の辺りに大学が
あると言ってその名前を使ってくれと要求する権利はない」
ということ。
F.なお、同時に「南城」駅の並記名の「総神大入口」は削除された。
まあ、統合名まで別に「梨水(総神大入口)」とかになったらもっと傑作だがな m9(^Д^)プギャー
G.日本には乗換駅の路線別駅名が違い場合がそこそこありが、韓国はここだけ
つまり最初。悪い先例を残すな!ヽ(`Д´)ノウワァァァァァァァァン
H.余談だが…地下鉄公社はこの議決の中をおいて反対立場をしばらくずっと固執したが、
ソウル市から「どうして変更しないのか、はやく変更しろ」という公文が次々飛んで来て、
仕方なく2001年1月から再変更作業を行った。
I.あくまでも「4号線に比べて」であり、7号線も「隣接している」とは到底、言えない。
J.総神大学から一番近いI番出口(これも7号線側にある出口ですが)からでも徒歩で20分以上かかる。