2010年12月22日、花郎臺駅(京春線)
京春線は複線電化によって城北〜葛梅区間が忘憂〜葛梅へ切り替えられることになり、
その区間にある新孔徳と花郎臺の2駅が廃止されることになりました。
その中で新孔徳はすでに十年以上前に無人化の上に駅舎も取り壊され、挙句には
客扱いも無くなるなど、すでに駅として機能してなかったのです。
(1面1線の棒線駅なので、信号場としての役割もできない)
それとは対照的に、花郎臺は1日4往復だけではありましたが客扱いを続けてきました。
また、駅舎が文化財に指定されて、結構風変わった(?)駅長さんが就任して積極的に
広報したおかげで「ソウル市内のいい雰囲気の簡易駅」として知名度が上がりました。
というわけで城北〜葛梅区間の最終日である12月21日の次の日、つまり22日に
花郎臺駅までやってきたのでありました。最終日に行かなかったのは勤務日だったからです。
同名の6号線・花郎臺駅からおおよそ800mを歩いて花郎臺駅に着きました。
陸軍士官学校の正門のそばにひっそりある花郎臺駅の駅舎は営業中と
なんら変わっていませんでした。なにせ前日まで営業してたしね!
ですがやはり窓の貼り紙はここがもはや駅として機能していない場所であると知らせていました。
早速、構内側へまわってみました。
駅事務室の扉。古い備品が持ち出されています。廃棄用?
駅事務室の扉の貼り紙。駅長さんの名前で書かれていました。
ちなみにこの駅長さんは2012年5月現在、城北駅で勤務しています。
鉄ヲタの間では結構人気ある方ですので、興味あれば訪ねてみてください。
扉の前に持ち出されている備品の上には公文がいくつ、放置されていました。
こちらは部署(駅)の新設・廃止による無電機再配置を指示する公文です。
こちらは花郎臺駅保有の公用品物のなかでまだ使えるモノを他の部署へ移管させろという公文。
構内踏切の前に展示されていたさまざまな鉄道用標示。
最近は広報・集客目的でこういう展示をしている駅が何箇所あります。
付属建物(おそらく施設管理班の事務所?)のほうには駅舎の全景を書いた板が立てられていました。
どうやらグラフィティ系のサークルが描いたものみたいでした。
こちらも多分標示の展示と同じ目的でしょう。
ホームの駅名標。公社化前の黒い駅名標(「携帯電話駅名標」とも)に公社化後の青いCIを
上書きしたもの。でも書体がCI標準ではありません。適当なゲンチャナヨ精神。
花郎臺駅は駅の前後両方すぐに踏切がある駅でもありました。
退渓院側には陸士1踏切がありました。こちらは陸士の北側進入路へ位置しているため、
さほど交通の邪魔にはなりません。
陸士1踏切から構内側を望むとこんな感じ。このように踏切から構内がすぐです。
城北側には泰陵踏切がありますが、こちらは幹線道路を横切るため渋滞を起こす
要因の一つでありました。ですがこれもこの区間そのものが廃線されて過去のものになりました。