2006年11月07日、臨津江ライナー+都羅山駅ほか
'06年11月のダイヤ改定でなんと京義線・ソウル〜臨津江区間にセマウルが2往復新設されました。
しかしその利用率はあまりにもトホホな状況で、ファンからは「臨津江ライナー」と呼ばれながら悪評されてる始末です。
それに「ライナー」というあだ名を裏腹に朝、それも9時すぎて下りが、16時ごろに上りが運行されるので
時間的にも運行方向的にも、実際の「ライナー」として機能できるはずもありません。
と、いうわけでさっそく乗ってみました。
さてサボは真新しいモノですが、いざ車輌は…
こういうトップナンバーつまり古い車輌の寄せ集めで、車輌の状態もあまりいいとはいえなかったのです。
編成情報:
ソウル ← 107 - 301 - 501 - 305 - 601 - 108 → 臨津江
ご覧のとおり、601は普通なら金属で附けられている車番がペイントで書かれているのから既に怪しいです。
さて乗ってみたら…
座席番号標の隣の広告を丁寧にも一つ一つ撤去しておりましたがその痕は無残でした。
車内放送用のモニターも撤去され、電線やらが散らかれています。
客室端部のモニターも撤去された跡が剥き出しされていました。穴を塞ぐぐらいも出来なかったのですか。
客室だけではなく、トイレーの閂まで脱落していました。用便中にドアを開けられると困るのに。
1071レはわれら(2人でいきました)まで6人(!)の乗客を乗せてソウルを発車しました。
それも乗客6人の中で2人は次発の2009レと勘違いして乗ったアホどもで、
行き違いのために停車してた陵谷で追い出されました。
DHCとCDCの区別さえつかないアホどもはいつかはカモレに乗っていくかもしれませんね。
そのままグモってあぼ〜んすればいいのに。
ちなみに乗務員は全部で4人です。まさにマントゥマンなサービス!
こうして4人の客の中で2人は汶山で下車し、終点の臨津江までいったのはわれらだけでした。
いつみても臨津江駅の駅名標は特異です。隣駅ではなく「平壌」と「ソウル」とはですね。
早速、民統線出入り手続きをやって都羅山行きの4991レに乗り換えました。
4991レ自体は臨津江発都羅山行きですがサボはソウル発になっています。
2009レが臨津江で列車番号だけを変えて通し運行をするからです。
都羅山駅の駅舎。典型的な最近の「ガラス宮殿」様式の建物で、
まだ機能してはいませんが出入国管理事務所が併設されていてやたらと大きいです。
さっそく今は一般客が入る事のほとんどない、ホームへの地下道へ向かいました。
地下道は柵で方向別に分けられています。しかし空港・港湾ではなく駅でこういう標示を見るのはさすがに違和感ありまくりです。
下りの「開城・平壌方面」という標示にもドン引くするほどの違和感が感じられます。
最近は公共芸術が重視されますので、駅にも壁画の一つや二つは基本な時代です。
開城・平壌方面の4・5番ホームの行先案内電光板。現在はほとんどの列車が駅舎側の1番ホームを使うので使われていません。
4・5番ホームの駅名標。隣駅が「開城」となっていますが実際は「板門」です。
ちなみに'08年になって都羅山〜板門間に定期列車の運行が開始されました。
さて、見物もほどほどにして帰り道につくことにしました。帰りは通勤列車の2022レです。
ちなみに1071レの道中停車駅は一山・金村・汶山の三ヵ所だけで、行きの計画は一山乗車だったのですが
間に合わなさそうでしたので急遽ソウル乗車に変更したのです。
というわけで代わりに帰りに一山で下車することにしました。
京義線の主な駅の一つである一山駅は北は下町、南は最新のマンションの大団地に挟まれています。
なお、一山駅の駅舎は文化財として指定されています。
駅舎の建て替えの時にはどうなるのでしょうか。
一山駅からは歩いて2kmほど離れている3号線・注葉駅へ向かいました。
注葉駅から3号線に乗って帰宅しました。