外灘の歴史的建造物

上海の外灘を訪ねる機会がありましたので、その歴史的建造物についてまとめてみました。
外灘(ワイタンorピンイン)あるいはバンド(The Bund、堤防や埠頭の意味)と呼ばれるエリアは、中国・上海市黄浦区、黄浦江西岸を走る中山東一路沿い、全長1km強の地域で、多くの観光客が訪れる場所です。
この地区は19世紀後半から第二次世界大戦終了頃まで上海租界と呼ばれた地域で、当時建設された高層西洋建築の数々がたくさん保存されています。名建築として名高い建造物も多く、現在でも利用されている物もたくさんあります。
ほとんどは中山東一路に面していますが、この中山東一路は孫文の号「中山」にちなむ名です。建物の中で住所が北京東一路となっていない物もありますが、建物の正面玄関が中山東一路ではなく別の道路に面しているためです。
周辺の景観も時を追って変わってきていて、一番大きな変化は1990年代の中山東一路の道路拡張と洪水を防ぐための堤防のかさ上げでしょう。現在、堤防の上は広い遊歩道状の黄浦公園になっています。
何度も改装を経た建物もあり、使用している企業団体などもかなり変遷している場合が多いので、現在のビルの名前よりも租界時代の旧名の方がわかりやすいかと、最初に記載しました。
中には今回確認できなかった建物や写真を撮り忘れた物もありますので、いずれまた訪れて、内部探索と同時により正確な情報を記載したいと思っています。
このページの情報は、2010年10月15日現在のものです。

旧名 現在の主な入居主or通称 建築年 建築設計 住所 建築様式
1 インドシナ銀行(東方匯理銀行大樓) 中國光大銀行 1914年 アトキンソン&ダラス 中山東一路29號 古典主義
2 グレンラインビル(格林郵船大樓) 上海文化廣播影視集團(現況:閉鎖) 1920年 パーマ&ターナー 北京東路2號 ルネッサンス様式
3 ジャーディン・マゼソンビル(怡和洋行大樓) 上海市外貿局(現況:商業ビル外灘27号) 1922年 スチュワードソン&スペンス 中山東一路27號 ルネッサンス様式
  揚子ビル(揚子大樓) 中國農業銀行上海分行(現況:商業ビルに改築中) 1920年 パーマ&ターナー 中山東一路26號
4 横浜正金銀行ビル(濱正金銀行大樓) 中國工商銀行上海分行 1924年 パーマ&ターナー 中山東一路24號 古典主義
5 中国銀行ビル(中國銀行大樓) 中國銀行上海分行 1937年 パーマ&ターナー 中山東一路23號 中国様式
6 サッスーンハウス(沙遜大廈) 和平飯店北樓(費尓蒙和平飯店北樓) 1929年 パーマ&ターナー 中山東一路20號 アール・デコ様式
7 パレスホテル(匯中飯店大樓) 和平飯店南樓(費尓蒙和平飯店南樓) 1908年 ウォルター・スコット 中山東一路19號 アン女王復古様式
8 チャータード銀行ビル(麥加利銀行大樓) 外灘18号(商業ビル) 1922年 パーマ&ターナー 中山東一路18號 ルネッサンス様式
9 ノースチャイナ・デイリー・ニューズビル(字林大樓) 美國友邦保險有限公司上海分公司(AIA保険) 1924年 レスター・ジョンソン&モリス 中山東一路17號 古典主義(+ルネッサンス様式)
10 台湾銀行ビル(臺灣銀行大樓) 招商銀行上海分行 1924年 パーマ&ターナー 中山東一路16號 新古典主義
11 露清銀行ビル(華俄道勝銀行大樓) 上海外匯交易中心など 1910年 H・ベッカー 中山東一路15號 新古典主義+ルネサンス様式
12 交通銀行ビル(交通銀行大樓) 上海市總工會 1948年 C・H・ゴンダ 中山東一路14號 アールデコ様式
13 江海関(江海關大樓) 上海海關(税関) 1927年 パーマ&ターナー 中山東一路13號 古典主義〜アールデコ様式
14 香港上海銀行ビル(匯豐銀行大樓) 上海浦東發展銀行 1923年 パーマ&ターナー 中山東一路10-12號 新古典主義
  輸船招商局ビル(招商局大樓) 招商局上海分公司 (現況:商業ビル外灘9号) 1916年 アトキンソン&ダラス 中山東一路9號
  大北電報ビル(電報大樓) 盤谷銀行上海分行 1908年 アトキンソン・アンド・ダラス 中山東一路7號 ネオ・バロック様式
15 中国通商銀行ビル(中國通商銀行大樓) 外灘6号(商業ビル) 1897年以前 G・J・モリソン&F・M・グラットン 中山東一6號 古典主義+アン女王復古様式
16 日清ビル(日清大樓) 華夏銀行上海分行(現況:商業ビル外灘5号) 1925年 レスター・ジョンソン&モリス 中山東一路5號 日本近代建築様式?
17 ユニオン・アシュランス・カンパニーズビル(有利大樓) 外灘3号(商業ビル) 1922年 中山東一路3號 ネオ・バロック〜アールデコ様式
18 上海クラブビル(上海總會大樓) 東風飯店(現況:閉鎖) 1910年 モアヘッド&ハルツ 中山東一路2號 新古典主義
19 マクベインビル(麥邊大樓) 中國太平洋保險公司 (現況:閉鎖中)
1913年 モアヘッド&ハルツ 中山東一路1號 バロック様式+各種様式


右から

@旧インドシナ銀行
  フランスのインドシナ銀行が当時の建築主。隣のグレンラインビルと比べても一階分の高さが非常に高いようです。現在は光大銀行が入居。

A旧グレンラインビル
 日本の上海占領時代は日本正金銀行が、1951年からは放送局が入っていました。現在、隣の旧インドシナ銀行と同様、中国光大銀行が入っていますが、使用されずに閉鎖されています。

B旧ジャーディン・マゼソンビル
 初期にはアヘン取引で悪名をはせていた大貿易会社ジャーディン・マゼソン商会が建築主。1844年以来1948年までここで営業していましたが、この建物は1922年に4度目の改築で建てられたものです。現在は商業ビルになっています。

右から

C旧横浜正金銀行ビル
 横浜正金銀行は日本の半官半民の貿易と為替の専門銀行でした。当時は甲冑武士像など日本的な装飾物が多く飾られていたそうです。戦後いろいろな銀行や機関が入りましたが、現在は商工銀行。

D中国銀行ビル
 中国銀行の威信をかけた銀行ビル建設でしたが、お隣のサッスーンより高い建物は許さぬとヴィクター・サッスーンに横槍を入れられ、1フィートだけ隣より低いビルになったとか。建築中にも大戦で完成が遅れたり紆余曲折の末、中国銀行は1946年になってやっと入居しました。

E旧サッスーンハウス
 英国のサッスーン財閥が建築し、傘下のキャセイホテルなどが入居。10階はヴィクター・サッスーン卿の私用のフロアだったため、サッスーンハウスと呼ばれたそうです。1956年以降は和平飯店が入っていましたが、最近、3年がかりで大改装されて設備も新しくなり、今年2010年7月末にリニューアルオープンしたばかりです。ホテル名も、Fairmont Peace Hotel(費尓蒙和平飯店)と改称。

右から

F旧パレスホテル
 1909年にここで最初の世界反麻薬連盟の会合が開催されたことでも有名。孫文が宿泊したこともあるそうです。ここのエレベーターが上海で最初のエレベーターでした。ここも和平飯店南楼として知られる老舗ホテルになっていましたが、北楼の元サッスーンハウス同様改装されて改名。

G旧チャータード銀行ビル
 英国のチャータード銀行の海外支店として建築されました。1955年に中国政府が接収して春江ビルと改名し、中波汽船公社などが入っていました。現在は商業ビル。

H旧ノースチャイナ・デイリー・ニューズビル
 ノースチャイナ・デイリー・ニューズとは、租界時代に英字新聞を発行していた新聞社。日本の上海占領期には日本の新聞社・大陸新報社が入っていました。現在のAIAとは、アメリカ友邦保険の略称。

I旧台湾銀行ビル
 かつては日系の旧台湾銀行の上海支店でした。現在は招商銀行。

J旧露清銀行ビル
 帝政ロシアの露清銀行が建築主。露清銀行は1926年に倒産。現在、外国為替取引場のほか、上海貿易センター、上海航空局が入っています。

右から

K旧交通銀行ビル
 第二次大戦後の1948年に英国マーカンタイル銀行(有利銀行)の跡地に建築された、比較的新しいビルです。現在、上海市總工會つまり上海労働組合が使用しています。

L旧江海関
 今も税関として使われている建物です。直径5.3mの今もアジア最大を誇る時計は、塔の4面すべてに設置され、周辺のどこからでも時刻を読むことができます。

M旧香港上海銀行ビル
 1877年から1955年までここで営業していた香港上海銀行(匯豊銀行)が1923年に建て直した2代目の銀行ビル。当時、銀行としてはスコットランド銀行に次ぐ世界第2位の広さを誇っていました。入り口に鎮座する有名なブロンズのライオン像(「慎重」と「安全」と名づけられた2頭)はコピーだそうです。現在、地番10〜11号に浦東発展銀行が入っていますが、12号は同じ建物内ながらカフェ・外灘12号珈琲庁が同居。

右から

N中国通商銀行ビル
 この建物は元々ラッセル商会が使用していましたが、競売にかけられ、1897年に中国通商銀行が入りました。中国通商銀行は中国人の創立した初めての銀行会社(創立は盛宣懐)です。現在は商業ビルになっています。元赤レンガだった壁は白く塗られてしまっていました。

O日清ビル
 日系商船4社が業務一本化のため設立した日清汽船(株)と、ユダヤ系資本との共同資本で建設されました。戦後一時期海運局が使用。その後入っていた華夏銀行は現在ではこのビルを出ていて、ブランドショップの入る商業ビルになっています。

Pユニオン・アシュランス・カンパニーズビル(北壁面)
 下欄参照。

右から

O旧日清ビル
 上欄参照。

P旧ユニオン・アシュランス・カンパニーズビル
 ユニオン・アシュランス社が建築し、1〜5階は会社が使用、6階はなんと個人用フラットで屋上庭園つきだったとか。いったいどんな人が住んでいたのでしょうね。現在は、高級ブランドショップなどが入る商業ビル(外灘3号)になっています。中山東一路側の入口はふさがれ、広東路側から入ります。

Q旧上海クラブビル
 下欄参照。

右から

P旧ユニオン・アシュランス・カンパニーズビル
 上欄参照。

Q旧上海クラブビル
 英国人中心の格式高い会員制の上海クラブとして使われていました。世界一長い33.7mのバーカウンターを誇ったとか。内装は日本人建築家下田菊太郎によるものです。戦後、ドンファン・ホテル(なんて名前でしょう!)が入っていたり、1990年から6年間ほどはケンタッキーフライドチキンが入っていたこともあります。現在閉鎖中で内部を見ることはできません。

R旧マクベインビル(北壁面)
 閉鎖中。亜細亜火油公司が長く入居していたため旧アジアビルと呼ばれることも。1950年に亜細亜火油公司から接収され、1956年からは中国太平洋保険会社が入居。現在は閉鎖されていて、ここもいずれ商業ビルになるのでしょうか。

G旧チャータード銀行ビル(外灘18号)の内部。入口を入ってすぐの吹き抜けホール。奥の3分の2くらいがカフェになっています。多くのブランドショップが入っていて、2階は回廊状で吹き抜けに面しています。
この日は日中は汗ばむほどの陽気でしたが、建物内はひんやりと涼しく、構造がしっかりとしていて壁が厚いからかなと思いました。
このカフェのアフタヌーンティーは、3段トレーにお菓子やサンドイッチなどが盛り付けられて出てきます。


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