『イル・トロヴァトーレ』の謎

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『ティールーム・ゼミ』に投稿された星様の記事を、ご本人のご意向により、各項目ごとにまとめ、上から投稿順に並べて読みやすくしました。ご意見ご感想はこちら

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トロヴァトーレ(1)・・・その歴史的考察

昔から「トロヴァトーレ」の台本はとやかく言われて来たものです。
しかし、それは原作や歴史的背景の考察によって克服できるのではないかと思っているのですが・・・。
歌の密度の高さやドラマ性は言うまでもありませんが、それを支えるものとしてお読み下さい。

原作は1836年に書かれたスペインのロマン派詩人ガルシア・グティエレスの戯曲「エル・トロバドール」。
台本の製作中にカンマラートが死去し、若い詩人のバルダーレが2幕、4幕の未完部分を仕上げましたが、
原作選びからヴェルディ自身が終始関与していたようです。
彼はこの幻想的で大胆、新奇な魅力に満ちたスペイン戯曲に心を捕われてしまったのです。
ヴェルディは最初タイトルロールにアズチェーナを考えていたようですが、結局、レオノーラとアズチェ
ーナのバランスを取ったようです。
メゾ・オタクの私としては遺憾ですが、ソプラノのレオノーラさまにとってはよい結果でしたね。(^^;)

さて、この戯曲は1410年5月のアラゴン王マルティン1世の死去に伴う王位継承をめぐる内戦を背景
としています。
1411年6月1日、ハイメ伯ウルゲルが カスティリア皇太子フェルナンドを支持するサラゴーサの大司
教を暗殺。
1412年6月 フェルナンドが反対勢力のウルゲルを押さえて評議会で王位継承を認められます。
ウルゲルは内戦に持ち込みますが、バレンシアの戦い(1412年2月27日)で敗退し、翌年には壊滅。
1414年2月ついに新王の即位が実現。
戯曲の時代設定は1410〜1412年と考えられます。
ということは、アズチェーナの母親の受難は1395〜97年頃のこととしなければなりません。
(テキストに「15年前」との記述があります。ただし、原作では1390年と明記されていますが。)
しかし、流石にこの魔女事件に関係しそうな記録はいまだに探し出せないでいます。(^^;)
オペラでは削られた細部が史実と密接に関連しているのが面白いです。

オペラではルーナ伯はフェルナンド陣営、マンリーコはウルゲル陣営に属していたことになっています。
戯曲ではコンテ・デ・ルーナとマンリッケとなっています。
史実では、フェルナンド陣営のドン・ヌーニョ総督とウルゲル陣営のマンリッケというライバル関係が
あって、戯曲のモデルと言われています。
では、このデ・ルーナという名はどこから出て来たのかということになりますが、実はこれも実在のスペ
インの名家で、15世紀初頭にはアントニオ・デ・ルーナという人物がかなりの権力をもっていました。
ただ、このルーナさん、なんとウルゲル陣営の人物で、どうも名前だけ取られてしまったようです。(笑)

戯曲とオペラの相違もいくつかあるのですが、長い戯曲をオペラ化するには、どうしても切り詰める必要
があったのは仕方ないでしょう。
最も大きな削除はレオノーラの兄、ギレンの存在です。
ルーナ陣営に取り入って家名と権力を守ろうと、妹レオノーラを無理矢理ルーナ伯と結婚させようとする
役割です。
もっともレオノーラの兄ギレンは無駄になることなく、「運命の力」のドン・カルロに移植(転用?)さ
れています。

トロヴァトーレ(2)・・・マンリ−コ編(トロバトールとは)

トロヴァトーレというのは吟遊詩人と訳されていますが、 南フランスではトルバドール、 北
フランスではトルヴェール、 ドイツでは ミンネゼンガーと呼ばれていました。
12〜13世紀、 各地を流浪しながら世俗音楽を奏でていた音楽家たちです。
彼らが衰えた後、商人、職人といった市民階級の歌い手が現れ、マイスタージンガーと呼ばれ
ました。
9世紀頃から歌や楽器を演奏する流浪の職業芸人たちの存在は知られていたようですが、その
うち貴族たちに仕えて定住する者も現われてきます。
やがて、彼等に限らず、一定の作曲法、作詩法を完成または練達した者がトロバドール等と呼
ばれるようになります。
このトロバドールの特長はそれまでの教会に縛られた宗教音楽の制約から逃れて、より自然で
人間的な歌を作ったと言うことでしょう。

最も初期のトルバドールは南仏のアキテーヌ公、ウィリアム9世の周辺で発生します。
ウィリアム自身がトロバドール(trobador)で、1120年に第一回十字軍から帰還すると、
彼の軍事的不幸をユーモラスに描いた物語、「武勲詩」(chansons de geste)を披露して楽し
んでいました。
俗語で書かれた少々卑猥な表現も含む詩ですが、この頃はまだその内容に儀礼的でもある叙情
的宮廷恋愛 (amour courtois)は現われていません。
その出現は、ウィリアム10世の有名な娘でもありルイ7世とヘンリー2世に嫁したエレアノ
ール(Eleanor)の時代を待たねばなりません。
その種のトロバドールの音楽は12世紀後半に最盛期を迎え、閉鎖的な貴族社会の華として咲
き誇ることとなります。

南フランスではその後次第に衰退していくのですが、ヨーロッパ各地にこのトルバドール文化
は引き継がれ、12世紀末のスペインではアラゴンのアルフォンソ2世の宮廷で最盛期を迎え
ます。
アルフォンソ2世も自らトルバドールとして秀で、多くのトルバドールを抱えていました。
しかし、「トロヴァトーレ」の時代15世紀初頭には、すでに吟遊詩人達は衰退していたはず
で、アズチェーナと同様、いささか時代の設定に飛躍があったようです。(^^;)
トルバドールは14世紀にはすたれて、すでにドイツでのマイスタージンガーの時代に入って
いたころですから。

さて、トルバドール(=トロヴァトーレ)がどういう境遇であったかという話をしておかなけ
ればなりませんね。
彼等は下層階級の出身者を含む市民や落魄貴族が多かったとされています。彼等がなぜ騎士階
級にまでのし上がることも可能であったのかと不思議に思う人もいるでしょう。
ちょうど日本の戦国時代のお小姓たちを想像してもらうとわかりやすいのですが・・・。
詩歌管弦に秀でて主君の寵愛を受け、戦場でも有能な近衛兵的存在であった名小姓たちとトル
バドールは非常に近い関係にあります。
レオノーラが彼に一目惚れするのは、 馬上槍試合(Turnier)においてのことですが、これも
戦国武将達の御前試合を思わせますね。
ただ、違うのは、トロバトーレは主君の夫人への賛美と忠誠が際立っていることです。
それは、この時期のヨーロッパの宮廷において、女性には教養の深さと政治的手腕に秀でた者
が多く、大きな権力と地位を持っていたということもあります。
いわゆるマドンナ的存在としての崇拝を領主夫人は受けていたわけです。
これは領主にとっても自らの権勢を誇る一助になり、宮廷の活性化にもつながったのです。
しかし、一方、各種騎士伝によると、嫉妬による騎士同士のいさかいや、領主夫人と現実に恋
愛関係にまで至ってしまって領主の報復を受けた例も多くあるようです。

マンリーコの出世については、オペラではアズチェーナに「野心に燃えて遠くへ離れていたか
らね」と語らせるに留まっていますが、戯曲「エル・トロバドール」には、もう少し詳しく述
べられています。
曰く、ビスカヤ伯ドン・ディエゴ・デ・アロに伴われてサラゴーサに行き、ミンネザングを習っ
て熟達した後、その技能によって騎士に取り立てられた、ということです。
このように見ていくと、卑しい身分のマンリーコが騎士としてカステルロール城を任される程
の権力を持ったとしてもまったく不自然なことではないのです。

このような背景を踏まえて、マンリーコの姿を特徴づけるものは、卑賎な育ちとトロバドール
としての感性から生まれた自由で怖れ知らずの恋愛観ではないでしょうか。
高貴な生まれのレオノーラが自由で大胆なマンリーコにひきつけられたのも無理はないような
気がします。

当時の貴婦人たちは地位も教養もあるものの、政治的思惑に左右される結婚を強いられていた
のですから、そのような価値観は新鮮だったと思います。
その点、ルーナ伯に嫁がせようとするレオノーラの兄の存在を台本から削ってしまったのは、
少々残念に思いました。
なお、オペラではマンリーコの年齢は16歳前後であると推定されます。
第3幕でルーナ伯が「15年前、赤子の時にさらわれた弟」と言っていますから。
(戯曲の方では、アズチェーナの母の火刑が1390年となっていますから、第3幕の1412年に
は22歳ということになりますが。)

トロヴァトーレ(3)・・・アズチェーナ編

アズチェーナの所属する社会はジプシーとされていますが、実はこれは問題があります。
スペインに初めてジプシーが現われたのは1425年3月のことで、このオペラの年代
設定の中ではまだスペインにはジプシーはいなかったはずなのです。(^^;)
魔女と告発されて火刑にされるようなことが起こるのはさらにもう1世紀ほど後のこと
です。
しかし、オペラや戯曲の面白さはそれで損なわれるわけではないでしょう。
抑圧され迫害を受けているアウトサイダーとしてジプシーと設定したのは、むしろ戯曲
に独特の香り付けをする結果になったと思います。
これでオペラの根っこが場の雰囲気としてどっしりと腰を据えたのです。

では、ジプシーとは何者かと言うことになりますが、もともとは北西インド出身の遊牧
民族です。約1,000年前にパンジャブ地方から西へ移動を開始し、トルコやギリシアを
経て14世紀にヨーロッパに入っていきました。
その初期の移動に当っては当時のヨーロッパでの巡礼者(団)への権力者の保護が利用さ
れることが多かったようです。彼等には巡礼者と同じく通行証、身分証、免税の特典が与
えられることがしばしばでした。
しかし、15世紀後半から民族への迫害が激しくなり、放浪生活や集団移動を余儀なくされ、
ヨーロッパ全域に広がっていきます。さらに、ポルトガルのジプシーは17世紀にアフリカ
の植民地やブラジルに、東欧諸国のジプシーは19世紀後半にアメリカ合州国に追放されま
した。ジプシーへの差別迫害は現在もまだなくなったとは言えません。
オペラではアズチェーナが魔女として火刑に処せられていることから、15世紀後半以降の
迫害の時期のジプシー集団を想定して描かれていると見ていいでしょう。

ジプシーへの迫害は、彼等が固有の古い掟に従って生き、独特の風習を固持したことから
始まったのでしょうが、カトリック教徒の従来の価値観に対する脅威とみなされたことも
あるでしょう。
男は主に鍛冶職、女は占い師に就く者が多かったようです。「トロヴァトーレ」のジプシー
の合唱のシーンでも、鍛冶屋の鎚の音が挿入されていますね。
音楽家、舞踏家としての才能もあり、フラメンコはスペインのジプシー達の音楽、踊りだっ
たそうです。
人々に最も怖れられたのは、実はこの中の占い師としての能力でした。
彼女達はしばしば相手を催眠状態に導き、詐欺まがいの行為も行ったようです。(まあ、
占い自体が詐欺のようなものですが・・・。)当時の民衆も貴族も、一種怪しい雰囲気の中
での暗示で簡単に催眠状態に陥ったり、怖れを感じて不安から占い師に誘導されたりしたも
のと思われます。

そういうことから、ジプシーは悪魔と取り引きした者という偏見が確定していったのです。
他の民族から孤立し、固有の風習、価値観を捨てない彼等ジプシーは、ますます孤立の度合
いを高め、部族ごとに閉鎖的社会を形作っていきます。
しかし、そのために近親婚が多くなり、他の集団から幼児を誘拐することも珍しいことでは
なかったのです。そのような例は裁判への訴えとして記録にも多く残されています。しかし、
それは種の保存欲求に基づく本能的な行為だと考える説が多いようです。
マンリーコがアズチェーナに子供として受け入れられたのは、そういう社会的背景もあった
のではないかと、私は考えています。ジプシーの女達には外部の子供を自分のものとして育
てることにそれほどの違和感はなかったのではないかと・・・。

しかし、問題はその子供が母親の仇の息子だったことです。そのために、彼女の心はマンリー
コへの愛に揺れるかと思えば、母親の敵ルーナ家への復讐に揺れると言う具合に、非常に激
しい振幅を余儀無くされてしまうのです。
彼女の根底にあるものはヴィオレッタと同じ純粋で愛情深い性質だと、私は考えています。
それが、迫害され虐げられた悲劇的過去によって押しつぶされ、ゆがめられてしまうのです
が、最後には死が近づくにつれ、打ち砕かれ疲れ果てて、人間らしい怖れの前に無力な姿を
現出するのです。
わたしは、終幕のマンリーコとの2重唱にジプシー達の苦悩の歴史と無力であったその結果
を見る思いがします。

確かにアズチェーナの心理は分裂したものですが、彼女の復讐は本来、マンリーコがルーナ
を殺すという形が最善だと思っていた節があります。
二人が決闘で戦った時、もう少しでとどめをさせるというのに、マンリーコが天の声に従っ
てルーナへの刃を振り降ろさずにいたことを、アズチェーナは激しく責めています。
その絶好の機会が潰れてしまい、更にウルゲル陣営が敗退するに至って、彼女の復讐は最後
の手段、つまり逆にマンリーコを死に至らしめたルーナに全ての罪を集約させ、死よりも重
い罪の恐怖を味あわさせるという形になったのではないかと考えます。
まさしく、"E vivo ancor !"つまり「(私は)なおも生きている!」、この悲痛な言葉にお
いて、このオペラは終わるのです。

ここで、触れておかねばならないのは、アズチェーナの年齢です。
オペラでは、15年前の母親の火刑の時に自分の赤ん坊を持っていますから、その当時の結婚
適齢期が14,5歳であることを考えるなら、アズチェーナの年齢は30歳、もしくは30歳台前半と
とらえなくてはなりません。
しばしば、極端な老婆姿に仕立て上げられているアズチェーナ役ですが、この時代でも30歳前半
は、まだまだ女ざかり、結婚もありうる歳です。
それがなぜ、老婆とされたのかというと、オペラの中で1幕、3幕で兵士が「ジプシーの老婆」と
言っているからでしょう。
1幕では伝聞ですし、3幕ではマンリーコを探して長旅をしていたためにやつれて身なりも薄汚れ
ていたと思われますので誤解されたのかもしれません。
当時恐れられていたジプシーの女を見ると、すぐに老婆と短絡した可能性もありますね。
また、アズチェーナの部族内での地位は比較的高かったのではないかと推測することもできます。
ジプシー社会は非常に閉鎖的な家長主義と部族主義が支配していますが、アズチェーナはその中
で単独行動、移動の自由を持っています。
母親の悲劇的死とマンリーコの部族外での立身出世という特殊事情も影響して、ジプシー社会の
中ではやや特殊な立場だったかもしれません。

なお、現在では、差別用語として使われてきた「ジプシー」または「ツィゴイナー」という語を避け、
国際的には「スィンティ・ロマ」または「ロマ」という呼称を使っていますが、まだ日本では一般的に
なっていないようですので、ここでは「ジプシー」と書きました。

トロヴァトーレ(4)・・・ル−ナ編

衝撃の事実・・・マンリーコが兄で、ルーナ伯は弟だった。!!!
・・・グティエレスの戯曲ではそういう設定になっているのです。(^^;)
ルーナやスカルピアは恋敵より年上だという印象がありますが、ルーナとマンリ−コの関係はも
ともとの戯曲では逆なのです。
アズチェーナの母親が火あぶりの刑にされた時、ルーナはまだ生まれてもいなかったわけで、
1411年頃の時点では、まだ10代前半の若者ということになってしまいます。(もっとも、戯曲で
は時間に5,6年のずれがあるので20歳前後になります。)
しかし、落ち着いたバリトンのルーナが年下で、テノールで無鉄砲なマンリーコが兄というのでは、
オペラで慣れた人にはちょっと抵抗のある設定かも知れませんね。(^^;)

ルーナは一族の跡取り息子として育てられ、当時の貴族社会の典型的思考形態を有しています。
高貴な生まれのレオノーラとの釣り合いを考えるとどう見てもルーナの方がぴったりなのですが、
そうはいかないからこそ戯曲やオペラになるわけです。
私は、ルーナを権力のある保守勢力の代表、マンリーコをそれに対する反動者と捉えています。
どちらも、レオノーラへの恋情においては純粋なのですが、そのバックにある思考形態は違うよう
に思います。

ルーナの階級意識は強く、レオノーラをその血筋、教養、美貌などから考えて、トロバドールごと
きに譲る気になれないのは当然かも知れません。
また、家父長的社会の常で、一家の頭領として保守的であるのは無理がないし、家名や名誉の意識
も強いでしょう。
時代はちょうど西方教会大分裂時代に当っていますが、アヴィニョンの教皇、クレメンス7世の後
を継いで教皇に就任したベネディクトゥス13世(通称パパ・ルーナ=教皇ルーナ)はこのルーナ伯
の家系の出身です。パパ・ルーナはフェルナンド1世にも大変強い影響力を持っていて、その支持
は王の頼りにするところでもありました。いささか怪物じみたタフな教皇でもあったようです。
「イル・トロヴァトーレ」でのルーナ伯はこのような家系の総領なのです。
そのルーナに「ロメオとジュリエット」を読ませたら、きっとコイツらの親はどういうしつけをし
ていたのじゃ、と怒るのではないかと思いますね。(笑)
一方、マンリーコは宮廷内では所詮成り上がりものです。
自由で大胆な気風は魅力ではあるものの、ちょっと生意気な不良っぽいものも感じます。
ルーナ伯はとてもプライドの高い貴族です。
マンリーコとレオノーラの関係を知った時、彼は一介のトロバドールのマンリーコに最上の女性を
かすめとられたような気分になったことでしょう。
第1幕、レオノーラに期待を抱かされてしまった後、人違いだとわかって大変プライドが傷ついてし
まったのですね。
たぶん、この時期の貴族のプライドと言うものは現代の我々が理解できない程強いと考えるべきで
はないかとも思います。
私は、レオノーラの兄のギレンが描かれていたら、ルーナが当時の保守派だったことがより明確に
浮き彫りにされて面白かったのではないかと思っています。
このギレン、政治的思惑と野心から、レオノーラにルーナ伯との結婚を強引にすすめようとします。

トロヴァトーレ(5)・・・インターバル

このあたりで、オペラ「トロヴァトーレ」の時間経過の推測と状況変化をまとめておきましょう。
オペラは原作の戯曲をかなり切り詰めていますし、少々改変もあり、同等には扱えません。
ここでは、終幕の時期をバレンシアの戦いの頃に合わせ、逆算していきました。
この戦いでウルゲル陣営は決定的打撃を受け、潰走することになるので、戯曲でもその頃を設定しています。
幕間で進行している時間の感覚をつかんで欲しいと思って、書いてみました。

★第1幕---1411年春〜夏頃と言うのが最も自然か・・・。冬の夜に宮殿の庭園を散策するとは思えないので。

●幕間---1幕終了直後、マンリーコとルーナは決闘。(ルーナを殺せずに終わる)
     その後(たぶん直後)、ぺリルラの戦いでマンリーコ重傷。アズチェーナが介抱。
     怪我が治るまでの時期は、レオノーラがマンリーコが死んだと考える程長くなければいけません。
     
★第2幕・第1場---1412年はじめの頃@ビスカリャ山麓。
     ウルゲル側のカステルロール城奪取の知らせがきています。

★第2幕・第2場---同上@カステルロール近郊の修道院回廊

●幕間---修道院からのレオノーラ奪取後、翌日にはルーナが攻め寄せるのは不自然なので、
     然るべき期間、婚礼の準備に当てたと思いたい。
    (戯曲では既に奥方生活1年。オペラでは婚礼の話を入れたため苦しい・・・。)

★第3幕・第1場---1412年2月@カステルロール城を囲むルーナ伯の陣営。

★第3幕・第2場---同上@カステルロール城内礼拝堂の隣室。

●幕間---バレンシアの戦い(1412年2月27日)の少し前。カステルロール城の陥落。
     マンリーコ捕虜に。

★第4幕---同上@アリアフェリア宮殿
     戦時のどさくさにまぎれてマンリーコを処刑したとみています。
     そうでなければ、国王の許可なく敵将を処刑するのは難しいでしょう。

こうして書いていて、ふと思ったのですが、ルーナにとらえられたジプシーの老婆が火刑に処
せられようとしているのを露台から見てマンリーコは救出に向かうのですが、既に火がつけら
れているのに、どうしてアズチェーナは生きているのか、それが不思議に思えて来ました。
この台本はここではちょっと無理があるかもしれませんね。(^^;)
【補遺】
魔女審問に関する書物を読んでいたら、火刑に関する複数の記述を見つけ、
「イル・トロヴァトーレ」の例のアズチェーナの火あぶり未遂問題についてヒントを得ました。
まわりに被刑者がほとんど見えなくなるまで藁や薪を積んで、まず煙で窒息死させることが多かった
らしいのです。
むごたらしい失敗例から教訓を得て、人道的(?)処刑法が考え出されたのだとか・・・(^^;)
薪を置く距離にもよりますが、そこに至るまでの時間はかなりかかりそうなので、マンリーコが駆けつ
けて救け出すのも不可能ではないかもしれません。

トロヴァトーレ(6)・・・レオノ−ラ編(その孤独で善良な魂)

まず、年齢ですが、マンリーコはオペラでは16歳くらいということがわかっていますので、レオノーラも
そう離れた年ではないと思われます。まず、14、5歳というところでしょうか。
15歳と言えば、現代ではまだまだ一人前には見てもらえない年頃ですが、15世紀頃の西欧では結婚適齢
期にかかる頃なのですね。

15世紀の西欧での貴族階級の女性の状況をまず知って頂かねばなりません。
この当時、親兄弟による縁組みが多く、相手を見たこともないということもあったようですが、それとなく
お膳立てされてお見合いのような状況が作られていたことも多かったようです。
女性のほうも12、3歳になるといろいろ品定めをしたり噂に聞き耳を立てるようになるのが普通で、有力
貴族との結婚は家系の存続や隆盛に大きく作用したものです。
この時期のヨーロッパの宮廷において、貴族や王家の婦人には教養の深さと政治的手腕に秀でた者が多く、
大きな権力と地位を思いのままにするだけの教養、才覚が求められます。
彼女達が結婚に真実の愛よりも自分の能力を存分に発揮できる場を求めたとしても責められません。
一人で女性が出歩くこともほとんどなく、結婚前の女性には付き人のようなしっかりした年輩の女性が
ついているのが普通ですから、異性と二人っきりになることも難しかったと思います。
レオノーラにしても、遠くから馬上試合を見てひとめぼれ、窓下からのラブソングにうっとりして、ひ
とときの逢瀬を暗い庭でわずかな時間すごしていただけではないかと思います。

さらにレオノーラはフェルナンド1世の宮廷において王妃付きの女官として仕えています。
保守的なカトリック教徒であるフェルナンド1世の宮廷です。その宮廷に受け入れられるだけの有力貴族の
娘であり、しかも敬虔なカトリック信者であると思われます。
フェルナンド1世のお妃レオノーレ(またややこしい・・・)のそばにいて、一種のサロンを形成してい
た一員と見られます。
レオノーラの兄がルーナ伯との結婚をお膳立てしようとやっきになっていたのも戯曲では語られています。
彼のもくろみは当然、フェルナンド1世の王位が安定したら、その重鎮となるべきルーナ伯を通じて自分の
出世や影響力を望んでのことだと考えられます。
また、兄が家長として取り仕切っていると言うことは、レオノーラの父親は死んでいると考えるのが普通で
しょう。
イネスを連れて宮廷に上がっている少女の家庭は、あたたかい満ち足りたものではなさそうですね。

当時の西方教会大分裂時代にアヴィニョンの教皇、クレメンス7世の後を継いで教皇に就任したベネディク
トゥス13世(通称パパ・ルーナ=教皇ルーナ)はこのルーナ伯の家系の出身です。パパ・ルーナはフェルナ
ンド1世にも大変強い影響力を持っていて、その支持は王の頼りにするところでもありました。スペインの
ペニスコラに要塞城を構え、ローマの教皇に対抗した、いささか怪物じみたタフな教皇でもあったようです。
「イル・トロヴァトーレ」でのルーナ伯はこのような家系の総領なのです。(ルーナの保守性や押して知るべ
し)
当然、レオノーラもそのルーナ伯との縁談が進められるほどの高貴な家系であると考えるべきでしょう。

対するウルゲル陣営のマンリーコは出自が卑しく、正統カトリック信徒とはいえない境遇です。
彼が所属するウルゲル伯もまた、王位を巡って対立する側のフェルナンドを支持したサラゴーサの大司教を
暗殺した反逆児です。
ウルゲルの戦法もそれに相応しく、一種のゲリラ戦、奇襲戦を得意としていたようです。
フェルナンド=保守派の陣営にいるのがルーナとレオノーラ、ウルゲル=革新派がマンリーコという図で始
まります。
レオノーラにとっては素性の知れない吟遊詩人など本来相手にするべき人物ではなく、第1幕でレオノーラ
の侍女イネスがレオノーラの恋を諌めるのは当然なのです。
レオノーラは信心深くて知識教養が高くても、世間の常識となるとまだ子供同然ですから。
こういうアンバランスが当時の宮廷ではよく見受けられ、そのためしっかりした侍女や責任感のある親族が
必要不可欠だったわけです。これが有効に機能しないとジルダやジュリエットのような悲劇が発生すること
になります。
レオノーラの恋は今の感覚でいけば、良家の子女がちょっと陰のあるサークルバンドのリードボーカルにお
熱をあげて駆け落ちしようとするようなものではないでしょうか。(^^;)
ロメオにしろマンリーコにしろ、やや直線的で勇み足や失敗が多いのは、その若さだけでなく保守的既成勢
力(=大人社会)への対抗者としての役割が大きいため、自由な反逆者としての危うさ、熱血を意味するも
のと思われます。
しかし、分別くさい男女にとりまかれているレオノーラにとって、これほど魅力的な男もいないでしょう。
彼女の一目惚れには説得力があります。

このように敵方でもある異質な男に惹かれてしまったレオノーラは、兄(=家名)に背くことになり、マン
リーコが死んでしまえば、ルーナを受け入れられない限り修道院しか行き場もない孤独な女性となります。
死んだと思っていたマンリーコに修道院から連れ去られますが、この時点ではまだまだお嬢さんです。
二人の男の間でおろおろしているところが垣間見られます。
しかし、カステロール城での愛の時もやがて終わりが来ます。
アズチェーナがルーナに捕われ、マンリーコは毋救出のために彼女をおいて城から出て駆けつけます。
その時、彼の中ではレオノーラよりも毋アズチェーナの比重が重くなってしまっています。
「愛しい人を知る前から慕った母上」とか「助けることが出来ねば共に死にましょう!」などという言葉が
マンリーコの口から発せられているのです。
レオノーラはここでもまだ驚き恐れるばかりです。
引き止めることもなじることもしていません。彼女はそのような才覚もなく、性格が良すぎます。
あくまでレオノーラは善良な女性として描かれているのです。

バレンシアの戦いの前哨戦としてカステロール城が攻められて落城後、レオノーラはマンリーコが捕われて
いる宮殿まで辿り着きます。
この当時、女性が一人で生き抜くだけでも大変なことですが、城を落ちのび、地中海沿岸のカステルロールCastellon
からアラゴンのサラゴサ、アリアフェリア宮までをレオノーラは踏破しています。
直線距離ではローマ、フィレンツェ間くらいの距離ですが、その間にはイスパニア高原があり、その通行の
大変さは比ではありません。
自殺用の毒薬を仕込んだ指環を身につけ、城壁に忍び寄るレオノーラは既に自らの死を覚悟しています。
アズチェーナのために自分をおいて無謀にも駆け出して行ったマンリーコのために・・・。(^^;)
いや、愛の力でしょう。
彼女は初めて自分から能動的に行動を起こしているのです。

ルーナと出会ったレオノーラは最初は戦術が稚拙です。ルーナの嫉妬に火をつけてしまうのですから。
とはいえ、後半、レオノーラは健闘します。
追い詰められて、「私で良ければ」と身を差し出すかのように言いますが、心の中で「あなたが得る私は命
を失った冷たい亡骸」と言います。
しつこく確認してくるルーナにレオノーラが与える言葉は「神に誓って」。
ルーナがなぜレオノーラの約束を信じたのかと疑問を持つ人もいますが、レオノーラの善良で信心深い性格
をルーナも知っていたからです。まさか自殺までするとは思わなかったのでしょう。
そう、彼女は嘘は言っていないのです。
レオノーラの計画はマンリーコの嫉妬と早く効き過ぎた毒薬のせいで崩れてしまいますが、彼女は自分の良
心と目的達成のための言葉の間に折り合いをつけています。
最期にその心情をマンリーコに理解されたのがまだしも救いですが。
家庭の愛に恵まれず、あまりにも多くの苦難の後、結ばれた男は母のためにレオノーラを放り出して行って
しまい、ありったけの知恵と勇気を振り絞って助けに行ったら男には誤解され、そろって命を落とす・・・
哀れです。

このように、「トロヴァトーレ」は4人の主役級の人物が互いに密接に関連してドラマを作っている素晴らし
い作品だと私は考えています。

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